「春は若草萌え出でて 秋は錦のあやを織る」‥‥校歌の一節のとおり、四季折々に美しい姿を見せる移ヶ岳に見守られ、平成21年3月31日をもって田村市立瀬川中学校・62年の歴史に幕をおろしました。
その間、3,872名の卒業生と、最後の1年生9名、2年生19名、そして教職員220名を送り出してきました。時代の流れの中で、急激な生徒数の減少や、校舎の老朽化には歯止めをかける事はできませんでした。
閉校に向けての私の母校への思いや、校舎建築の際の地域住民の教育への熱い思いについては、「あぶくまくりっぷ」や「あぶくま特集号」で伝えてきました。
■会報・あぶくまClip 第7号(H20.12.22)より抜粋
昭和22年4月に開校した瀬川中学校も、校舎の老朽化や生徒数の減少のために、今年度をもって閉校することになりました。市事務研や地区事務研で本校の用務員さんの「想い」を密かに伝えながら、花の種を配ったり、ムスカリの球根のもらい手を探したりしながら、残された月日で何をすればいいのか、やらなければならないのかについて考えているところです。
私がやらなければならない仕事については、今後予定されている統廃合の学校事務の進め方などの参考になるように随時まとめておきたいと思います。
現在学校では、21年4月の船引中学校への統合に向けてスムーズな移行ができるようにと、スクールバスや記念誌、閉校式や跡地の利用などについて閉校準備委員会を組織し話し合いがなされています。
生徒同士の親睦を深めるための交流会が数回予定され、各部活動においても練習試合を計画しながら活動しています。その他に記念・記憶・記録に残るようにと、全校生で校歌を歌い、「声を残す」ために講師の先生にご指導をいただきながら、歌う楽しさや校歌が大切に歌い継がれてきたことをかみしめながら、元気に練習しています。近々、田村市文化センターで録音をしてCDを作成することになっています。
瀬川中学校は私の母校でもあります。私が生まれた昭和36年に現在地に移転・新築落成し、現在に至っています。
閉校に当たり、記念誌作成のための資料づくりに携わる時、瀬川地区を挙げての学校建築への情熱を知り胸が熱くなりました。また、自分の中学校時代を懐かしく振り返ることができたことや、3,800余名の卒業生によって数々の伝統が大切に守り育てられ、受け継がれてきたことを思う時、感慨深いものがありました。
こうして母校の最後を見守ることになるなんて‥‥これも何かの縁でしょうか。頑張らなければ‥‥。
コメント