時間帯にもよるんだけど、子どもたちが外で元気に遊んでいる様子ってほとんど見ないです。スポ少はともかく学習塾や習い事などで忙しいという話は聞くけど、家の中でゲームというのが一番多いんだろうな。最近は不審者やいじめなどの問題もあって「家の中にいる」ことがお墨付きだから、暖かい部屋で好きなことをしていられる‥‥。
そんなことについて云々するのはいかにもオヤジ的なので、ストレートに自分の小さい頃の話をしようと思います。それもオヤジ的だけど。
ボクらの遊び場は近くのお寺だった。休みの日はそれぞれの家庭に子どもたちの仕事があって、まぁだいたい午前中は手伝いなどして、午後から三々五々境内に集まってくるのだ。何となくにぎやかになってくる様子を感じ取って集まってくる感じ。
かくれんぼをする。基本的に平等にオニを決めて始まるんだけど、そこは要領のいいヤツと悪いヤツとがいて、結局のところ後半のオニはいつも同じヤツだった。オニが何度か続くとかくれんぼはやめて次の遊びになる。ゴムボールと棒っきれで三角ベースやったり、山門や庭木にのぼったり、住職がいなかったのでやりたい放題だった。どの遊びでもやっぱり最後はヘタな子が失敗して終わり。だからって特段そいつを責めることはしなかった。かばうと言ったらヘンかもしれないが、何となく別のヤツのせいにして終わるのだ。別のヤツはたまったもんじゃないが、でもそれが穏便な終わり方だった。
そこには縦横の社会があって、然るべき暗黙のルールもあって、守らないヤツは間違いなく仲間はずれになる。ただ、いろいろな救済措置も用意されていて、翌日、遅くても翌週あたりまでには元に戻っていた。小さなケンカもよくあることで、でもみんながおおむね公平な目で見ているから、ケンカで勝とうが負けようがダメなものはダメで仲間はずれになった。もちろんやがてまた元に戻る。今で言う「いじめ」とは別のものだった。
家にいると手伝いをさせられるだけだから、とにかく外に出たのだ。ゲーム機などなかったから自分たちでルールを作って遊んだ。狭い境内に20人くらいいたかなぁ、誰かが来てないとか、あいつはどうしたとか、そういうのも把握しながら、薄暗くなるまで鼻汁をすすりつつ遊んだ。帰る方向ごとに責任者的なヤツが小さい子たちのめんどうを見ながら家路につく。今思えば、リーダー的なヤツは(意識してたかどうかはともかくそういうのを確認して)最後に帰っていたような気もする‥‥。
どの子にもそれ相応の役割があって、まぁ大した役目でもないんだけど、いなければいないで落ち着かない。ひとり一人が大切だったんだろうなお互いに。持ちつ持たれつの小さな社会があった。誰に教わるでもなく、その中で強い弱いを知り、人間関係を学び、生きる力を身につけた‥‥。
昨日のウォーキング中、外で遊んでいる子どもたちを久しぶりに見てとても嬉しく思いました。あんまり近寄ると「不審者」になりかねないので、かなり遠くから眺めていたんですが、あの頃の様子をつい重ねてみてしまうのでした。
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