母が来月初めに古稀を迎える。みんなが集まれる時期にということで、少し早めにそのお祝いをした。子どもと孫だけ、ちょっとだけ豪華な料理、実にささやかだけれど、楽しいひとときだった。
母は嫁いで51年。専業農家で朝から晩まで働いた。我々男ばかり3人の子をもうけたんだけど、結婚して10年くらいで父が入退院を繰り返すことに。それから5年後くらいに父はあまりにも早く他界した。幸いじいちゃんやばあちゃんが健在だったから何でもかんでもではなかったのだけれど、でも朝から晩まで夢中で働いた。我々子どもたちも貴重な働き手だったけれど、いわゆる反抗期みたいな時期もあったりして、迷惑や心配のかけ通しだった。自分が働き出した頃じいちゃんが逝き、その2年後にばあちゃんが逝った。まだ農業は続けていたからやっぱり働き続けた。が、少しずつ農業を小さくし野菜などを少しだけ作るようになって、ちょっと時間にゆとりができるようになった。
長男も結婚し、内孫も生まれ、さぁこれからだというときに母はクモ膜下出血で倒れた。11年前だ。手術できないところでの出血とのことで我々は覚悟した。が、数日後奇跡的に意識が回復し、右半身麻痺という障害が残るものの、まぁどうにか元気でここまで生きてきた。働かなければならない、でも身体が動かない、そういう悶々とした日々を過ごしてきたのだろうが、最近は町の福祉サービスなどを受け、そうやって外に出て人に会うことが楽しみになっている。
プレゼントされた洋服に着替え、花束を持って、みんなで記念撮影した。好物の天ぷらを食べ、これまた好物のケーキを食べ、みんな集まって母も楽しそうだった。還暦のお祝いはできなかったが、古稀の祝いを迎えられたことが何よりだ。人生70年というのは稀な時代ではなくなった。へたすりゃ50代で終わっていたかもしれないんだけれど、父の分までずっと長生きしてほしいものだ。
お母さん苦労されているのですね!
その分長生きして欲しいですね。
祝ってくれる頼もしい家族がいて本当に良かった
投稿情報: みーさん | 2006/08/28 22:35
うどんを打って持っていったんだけど、どうもそれを食ってうまいとかうまくねぇとか言った記憶がない。
2回に分けて打った。半分は硬かったかなぁという感じ、半分はやわらかすぎたかなぁという感じ。でもゆで時間と冷水での締め方さえうまくいけばまずまずかなぁと思っていたんだけど、飲んでるあの場面ではもうそれどころではなかったんであります。
あぁ改めてもう一度オレのうどんと兄の冷やたれで食ってみてぇ‥‥。(あれほど食ってたじゃん‥‥と家族談)
投稿情報: hiromaru | 2006/08/29 20:31