ずっと気になっていた愛宕神社龍穏院散策路の手入れのことだけれど、先日の土曜日、ひょっとしたらこのじいちゃんでねぇべかと思っている方に尋ねてみた。このあたりの畑はとてもちっちゃいんだけど数はけっこうあって、でもその一つひとつがとても丁寧に手入れされていて、自分としてはきっとこのじいちゃんに間違いないと思っていたからだ。
が、答えは意外にもぜんぜん別の人だったのだ。じいちゃんが言うのには、神社の近くの接骨院のおやじさんだとのこと。えーっ!じいちゃんじゃなかったの? ちょっと驚いたけどでもなるほどと納得した。その接骨院には小学生の頃からお世話になって、スポーツをしていた20代半ばまではよく通ったものだし、子どもたちも何度となくお世話になったし、だからおやじさんの人柄もわかるから、驚いたり納得したりなのだ。
じいちゃんは細かい話もいろいろしてくれた。散策路の手入れを始めた頃は、周囲の草花を取っていく人が少なくなかったそうだ。が、接骨院のおやじさんはあえてその1本の周囲をきれいにして残し、目立つか目立たないか程度にテープを付けた棒を差したりすることによって、これは訳ありですよという意思表示をしてきたら、今はもう勝手に草花を取っていく人はいなくなったそうだ。いかにもといった風情で「○○ユリ」などと表示しておくのはいかがなものかとさえ思っていたのだけれど、なるほどそういう意図があったのかと目印の理由を理解することができた。ナントカ自然公園などわざわざ整備して1本1本に花の名前なんか表示して興醒めするようなものとは意味が違うのだ。
手入れしてくださっているのが「どこかの誰か」から「あそこのおじさん」に変わって、ますます親しみを感じたりする。感謝の気持ちも若干増大した。また、こんな畑の真ん中でじいちゃんに声をかけるというのはけっこう勇気の要ることなんだけど、声をかけられる側のじいちゃんだって同じようなもんなんだろうなとも思った。が、一旦切り出してしまうとお互いに普通の会話ができたりして、あぁ声をかけて良かったと思うのだ。お寺の墓掃除をしてるじいさん、うっそうとした枝垂れ桜の下で会ったおばさん、伝承館の管理人さん‥‥、いろんな人と話をすることができた土曜日だった。
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