あっという間に新年度入り。自作スケジュールノートも3カ月経ったので、ちょっと区切りにすべく振り返ってみようと思います。
昨年までのモレスキン3冊(スケジュール・ラージ、デイリー・ラージ、デイリー・ポケット)を、エクストララージサイズのノートをカスタマイズしたウィークリースケジュール&ノート1冊にまとめてしまうという試みですが、結局のところ使い方は相変わらずです。
書き方は、これまで何度も挑戦してきた「サクッと」「さっぱりと」「単純明快に」を目指してきたんですが、長々とした文章、細かい字で埋め尽くされている‥‥。どうしても無理だと思います。自分にはそれは無理なのだと、もうそろそろあきらめるべきだと痛感します。
記入スペースが大きくても小さくても、結局は然るべき文字数を書かないことには達成感がないのでしょう。そう感じます。
見開きの左ページには、3ブロックに分けていろんな予定を書いています。自分一人だけの仕事ではありますが、自分一人だけのペースでは物事は進みませんし、何がどう進んでいるかを常に把握していないと、いざというとき何もできなくなりかねないからです。下っ端はつらい‥‥。
右ページ、ノートの内側に「□」を付けて ToDoリストを書き込んでおきます。調子のいいときほどきちんと細かくメモしてあって、忙しいときほど書いてない。書いてないから忘れたり、ざっくりとしてて手を付けにくかったり、効率悪くて捗らない。悪循環、モロ実感、ナナナナァ、ナナナナァ、このままではいかーん。
単純に、右ページの約3分の2を占めるノート欄は、従来のラージサイズのデイリーダイアリーに代わる部分だから、さすがに狭くてストレス溜まっています。でもこのサイズに合わせて書くことが努力目標でもあるから、もうちょっと頑張ってみようかと思います。
ただ、以前のデイリーダイアリーは時々ページをめくって振り返るというか読んだりしていたものですが、今はほとんど読み返さないです。単純にスケジューラという意識が強いのでしょうか、もう済んでしまったことという感覚。これはちょっともったいないなぁ。
スケジューラはスケジューラとしての、ダイアリーはダイアリーとしての意味がやっぱりあるんだろうなと、当たり前なんだろうけどそんなことちょっと思っています。
さて、実は訳があって昨年のデイリーダイアリーやらを少し読み返してみました。まぁ見事なまでに書き込んであります。その労力もっと別のところに活かした方がいいんじゃね?と思わないでもありません。
が、でもやっぱりおもしろい。おもしろいけど他人が読むにはちょっと危ない。どこの誰だか知らない人ならどうでもいい話かも知れませんけどね。
いずれにしても、思ったこと感じたことの記録というのは、いつかどこかで処分しないと、もし何かあった場合に家族に迷惑をかけそうな気がします。サックリと処分してもらえればそれでいいんですけど、でもそれが迷惑というか。ブログなんかもそうだよなぁ。ログイン方法なんかわかんねぇもん、削除するのも厄介。いろんなアカウントとかもあるな。いざという時は口座がストップするから大丈夫か。いや、契約は継続されたままだからいずれ多額の請求が来たりして。
いや別に何もないんですけどね、ふとそんなこと考えますと、少しずつシンプルにしていかないとたいへんだね。あれもこれもとつい手を出してしまう自分。つい買ってしまう自分。身軽にしていったら気も楽になるんじゃないかなぁ。それができないばっかりにこういう生活になってんですけどね、はぁ‥‥。
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