何だかんだもうオレの足も1カ月半。パッと見では普通だし自分もさほど意識しなくなったのだが、実際はまだ本調子ではない。本調子ではないけれど、いつまでも引きずってはいられない。そう思って普通にウォーキングを始めた。
昨日と今日とではほとんど変わらないが、1週間前と比べると劇的に良くなっていることに気付く。劇的に良くなっているのに1カ月以上経っても完治しない。回復には時間がかかるもの、そう割り切ることが大切なのかもしれないな。
具体的にイメージしていたわけではないけれど、久しぶりにこういう写真を撮って気持ちが落ち着いたような気がした。懐かしいような気はするけど何か新しい生活が始まったみたいな感覚でもある。
つい先日、近所の若夫婦が出産祝いのお返しを持ってあいさつに来てくれた。出産後約2カ月の里帰りを終え、いよいよ3人での生活が始まるとのこと。パパかママかどっちに似てると思いますか?って訊かれたけど、実はオレその「似てる」というのが苦手で、パパがガッカリしないように「目のあたりは父ちゃんかなぁ」とか言ってみた。が、みんなママに似てるって言うらしい。汗汗汗‥‥。
まぁどっちでもね、元気にすくすく育ってくれれば、それがパパの願いだから。今日も賑やかなことだろう。
何かある‥‥、何かある‥‥。自分も具合が悪い頃だったから(よくないことは)あまり考えないようにしようと思っていたのだ。が、そうか、新しい命が宿っていたんだと気付いたときは、他人事ながら何だか急に照れくさくなった。というか、御目出度いのは自分だなぁとちょっと恥ずかしくなってしまったのだ‥‥。
ずーっと話をたどってみると、新しい生活に向けた準備が着々と粛々とすすめられていたのだと感心したりもする。トゥーランはお嬢さんの自転車対策であると完全にすり込まれていたのだ。家族が増えるというもうひとつの理由があったとはなぁ。まぁとにかくおめでとう。
おじさんが新しい生活を始めることになった。原発の正にあの場所から命からがら避難して、県内、横浜、埼玉、郡山などを転々とする生活。かの地に戻ることはもうあきらめ、それよりも早く新しい生活基盤をしっかりと築いていくことを選択したわけだ。
まだまだそうもいかない難しい現実にある人も少なくないわけだけれど、避難者それぞれが現実的な目標を持つことが大切なんだろうなぁ。良くも悪くも横並び意識が高い日本人、誰かが始める新しい生活に感化されながら、復興が加速していくというのもひとつの方法なのかなぁとも思う。
そうは言っても人の生活なんていつどうなるか全くわからない。ピクッとした瞬間歩けなくなるかもしれない。長い間蝕まれているのに気付かず心臓が正常に動かなくなるかもしれない。腫瘍を摘出して一部の機能が失われるかもしれない。例えばね。まぁ世の中はおめでたい話ばかりではない。
だけれど、生きてさえいればやがて回復するかも知れないし、代替の方法が見つかるかも知れない。不自由な生活もいずれ慣れてしまうことだってある。新しい生活は不安が付き物だけど大きな希望に満ちあふれることもまた事実。
あれからちょうど1年。長い1年だったけどたった1年だ。この先はずっとずっと長い。新しい生活が始まる。気持ちを切り替え前向きに少しずつやっていくことだと思う。
久しぶりのウォーキング。そんな日に、もっともっと久しぶりにカワセミを見ることができた。オレ的には幸せの青い鳥なのだ。
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