寒い日が続きます。小寒から大寒へ、1年で最も寒い時期だから当たり前っちゃ当たり前なんだけど、それがまた暦どおりだから先人から伝わってきた生活の知識・知恵というのはホントにすごいなぁと思うし、経験の積み重ねにこそ確かな答えがあるんだと今さながら思い知らされます。
七十二候は「水泉動(しみず あたたかを ふくむ)」という時期だそうです。これほど寒い季節、凍り付くような泉でも水は春に向かって動き出し少しずつ変わっていくんだというような意味だそうですが、単なる季節感ではなくもう哲学的で逆におもしろいです。
絶え間なく水が流れている近くのわき水。どういうものなのかよくわからないので一度ちょっとだけ口に含んだくらいなのですが、ペットボトルなどを持ってきて大量に汲んでいく方もいらっしゃるようです。自然の恵みってありがたいものです。
水と言えば酒造りですか。三春には「三春駒」という地酒があります。もともと三春藩の領地は馬の産地であったといういい伝えがあります。その馬を「三春駒」と呼んでいたのだそうですが、やがて高柴のデコ屋敷で作る木馬につながったわけですね。
鮮やかな色づかいと直線的な形とが特徴的な「三春駒」は、午年の今年けっこう目にする機会が多いような気がします。
三春駒、実は坂上田村麻呂の蝦夷征伐に際して、京都・清水寺のお坊さんが100頭の木場を作って持たせたんだそうです。実際の戦で劣勢になったときに、突然100頭の馬が現れてその窮地を救ってくれたのだという伝説を、小さい頃習ったなぁということを今思い出しました。
よくよく数えたら99頭で、田村麻呂の手元には木馬が1体だけ残っていたというような、いや、逆に汗でしっとり濡れている木馬が99体で1体足りないと思ったけどそれは自分が乗っている馬だったみたいな、そんなオチだったかも。
あぁけっこうおもしろい話だし民芸品としてもなかなかオシャレなヤツだし、これは三春町としても今年バンバン売り出していくべきだよなぁ。
もちろんその地酒も。清酒三春駒は地元の酒蔵で造っているんですが、実は地元の人はそんなに飲んでいないような気がします。自分もおみやげやご進物にする感じ。
黒ラベルなんかは地元でしか手に入らない美味いヤツだったり、最近は大吟醸なども含めてバリエーションも豊富。なんだけど、好んでは飲んでないような気がするなぁ。別においしくないわけじゃないんだけど何でだろう‥‥。
せっかくの地酒なんだから、もっと盛り上げていくべきだし、どうせならもっともっとうまい地酒になってほしい。強力な三春のシンボルになってほしいとさえ思います。
いつも歩いている散策路に、自分的にシンボルというか目印にしている木があるんです。今はもう小高い山は迂回するように道が通っているわけですが、この山のてっぺんから見下ろすと、かつてはこの道も歩いたのかなぁと思えるほど真っ直ぐに大神宮方面につながっていくんですよね。
そう思って遠くからこの木を望むと、あの方向だということが自分にはわかります。道が真っ直ぐ続いていく感じも何となくわかります。気にするまでは何とも思わなかったのですが‥‥。昨日は朝日があたって真っ赤になっていました。
暮れからいろいろ日本酒を飲んでいます。自分の好きな酒はやっぱりフルーティな吟醸酒ということになります。が、その背景にある酒造りへの思いとかを何となく考える、感じるようになり、それなら三春駒だって負けてねぇべとか思うんですよ。
いやむしろ、酒蔵だけじゃなくて町のオヤジ連中も町のシンボルたる三春駒をもっと知って、そうしていっしょに育てていくようなことはできないかと。素人考え丸出しだけれども、こういう酒になってほしいという声を出して、水の情報を提供するとか、何なら酒米も地元で作ってみようとか、長くかかることだけれど町ぐるみでやってみたいものだと思うのです。
安直に「三春名物」を考えて人集めをするんじゃなくて、じっくり取り組んで、失敗もして、そうやって経験を積み重ねていかないと三春のものにはならないですよね。
川の水はあたたかをふくむどころかこれから一層冷たくなります。まだ薄氷ですが流れの穏やかなところからどんどん氷結していきます。
歳を取るとこの氷のように動きのないところからどんどん固まっていくわけです。身体も頭も‥‥。新しいことをしようなんて考えなくなる‥‥。
ふとそういうことに気付くと、オレこれでいいのかとちょっとだけ奮い立つんですよね。よぉしオレ日本酒造り始める!なんてことは思いませんが、歳とともに固まっていく物事に対する考え方を、もう一度解きほぐす必要があるんじゃないかと思うんだよね。
あの頃みたくみんなで集まって語り合って‥‥、夢をかたちにしていくようなことができたらいいなぁ‥‥なんて思うのです。
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