夜8時。田村市船引駅前。その前の通りからずーっと‥‥人っ子一人いなかった。この駅前通りがひっそりとしてしまったことは以前から知ってはいたんだけれど、ずっと通り抜ける間にすれ違った車もわずか数台って‥‥。煌々と光る駅にさえ自分の目では一人も確認できなかったです。
三春だって負けないくらい人通りは少ないです。それでも、その船引から帰る途中の中心部、部活を終えて帰る高校生、犬の散歩、たぶんウォーキング中、仕事帰りのサラリーマン風など数名は確認。まぁどっちもどっちですけどね。
今日はずいぶん久しぶりに組合の会合に参加したんです。震災後初めての会合かも。それぞれの職場の状況など情報交換しましたが、地域によって、というより自治体によって温度差があるんだなぁということを改めて感じました。
それは抱えている課題が違うからなんですが、例えば田村市は市内に緊急時避難準備区域があるせいか、原発・放射線にかなり敏感だなぁと感じました。例えばその西隣の三春町は今後さらに仮設住宅建設をすすめますが、その受け入れなどに苦慮しているように感じます。
もちろんそればかりではないのですが、久しぶりに集まって感じたことをこうしてざっくり書いてしまうと、もうその地域の印象がおおむね決まってしまうように思います。船引駅前にはもう誰一人いない、三春は放射線なんか気にせず普通に生活してる、そう感じましたか? 書き方が悪かったんですね、みんな元気に暮らしているし、もちろん放射線量などを気にしながら、被災者として、支援する側として、しっかりと相変わらずの生活をしているんです。当たり前ですがその生活は同じように見えてひとり一人ぜんぜん違う。
こうした事態は長引けば長引くほど、特定の部分がより強く取りざたされ印象深くなります。一方で忘れてはならない部分がなおざりになったり‥‥。久しぶりに会って当時からの話も交えながらそれぞれの現状を聴いたから、少しハッとさせられることも少なくありませんでした。
我々自身でさえそうなんですから、これはたいへん失礼な話なんですが、この2カ月間のうちのホントのところをどれだけ理解して福島を応援してくださっているか、最近いろいろ考えてしまうことが正直なところあります。我々(私)の意識の方が変わっているのかもしれません。世の中の視点・論点が変わってきているのかもしれません。
結局のところ何がどう変わってきているのかは一般の素人にはよく分からないのですが、地震や津波そして原発による被害と、その支援や復興、それぞれの生活のあり方などについて改めて考え直さなきゃならないんじゃないかと思いながら帰ってきました。
大切なのは大人の事情などではなく子どもの未来ですよね。
当面、3カ月くらいは、夏頃まで‥‥、さまざまな組織の活動などが中止、延期されています。以前のようなペースですすめることは無理ですが、だからといって目処の立たない何かが落ち着くのを待っているのもどうかと。無理をする必要はないけれど、今だからこそ必要な・可能な取り組みもあるはずです。いろんな意味で再考の時期なのかもしれなぁと思うのです。
早く原発が治まってほしい、と
今でももちろん思っていますが、
仮に原発が治まったら、
人々の意識は、震災や東北や福島から
どんどん離れてしまうんじゃないか?
そんな気がしてなりません。
早く安心したいし、
すなわち忘れたい、というのも
人として間違いではないですよね。
原発もそうですが、
沖縄の基地問題しかり、
拉致問題とかも、
自分の平穏な暮らしが、
誰かの、何らかの犠牲のうえに
成り立っているということを
絶対忘れちゃいけませんね。
投稿情報: korter | 2011/05/20 12:47
ありがとうございます。
今日、とある会合で、実際に被災した方の・その地域の話を聴く機会がありました。
時間がなくてごくわずかな報告だったんですが、言葉として出てくることよりも、声を詰まらせてしまう部分で想像するせつなさ・つらさに、ジーンと来てしまいました。
自分は被災者じゃないんだなぁと改めて感じたりもしたんですが、忘れられるならほんとうに忘れてしまいたい災害です‥‥。
投稿情報: hiromaru | 2011/05/21 23:00