部屋の片付け‥‥。先日書いたようにいろいろあって遅々として進まない。わかっちゃいるけど進まない。平日は帰宅後さぁ片付けようなんて思えないから無理しない。週末がんばる予定。
山ほどの(今となっては全く不要の)資料の他に、もうひとつ処分しなければならないモノがあるのだ。どういうわけか集まってきちゃった「Macintosh」シリーズがそれ。あえて具体的には書かないが、これらは本体の他にいろんなケーブル類とか周辺機器とかもセットだったりするから、かなりのスペースを占有してしまっていて居心地が非常に悪い。あぁそれなのについつい今の今まで‥‥と「後悔」するばかり。
いつかまた使う日が来るかも知れない、バックアップも兼ねて内蔵ハードディスクに残しておいたデータに助けられる日が来るかも知れない、何だかそんな気がして捨てられないでいたのである。でも必要なデータはしっかり取り出してるし、旧いコンピュータなんか使うはずないって。特に MacOS X 環境に移行して以降、ハード的にもデータ的にももう別物になった感があるし‥‥。
というわけで、こういう機会にこそと、とりあえずノートブック系を処分することにした。ポロッと捨ててしまえばそれで終わりだけど、ハードディスクが入ってるから‥‥。そうそうそれも心配だったのだ。今さら中身を調べるわけにはいかないけど、個人情報なんか入ってたらたいへんなので、ひとつひとつ「分解」してハードディスクを取り出すことにした。
驚いたのは、歴代の PowerBook シリーズすべてを分解できる自分。これはこのネジを外すのがポイント。この機種はこっち側のケースをまず外す。このシリーズは‥‥、どれもこれも Macintosh ユーザグループの仲間の顔やたくさんのエピソードが浮かんできてしばし「旧懐」のひととき。それにしても懐かしいったらありゃしない。
取り出したハードディスクだって結局は捨てることになるわけだから、だったら読み取れないように「破壊」してまた元に戻してやった方がいいかなぁなんて思った。手間はかかるけど‥‥。
最終的には Sさんの所有物だったかも知れない PowerBook Duo280c なんか、ある意味芸術品だと思ってた。それも MacBook と比べたら正に隔世の感。今はもう分解しようなんて気持ちはサラサラない。
ほんとは一つ一つカメラに収めたかったけど、時間もないし断捨離なんだし、さすがにそれもあきらめた。ただただ「自戒」の念を込めて分解と組立とを繰り返した数時間。
断つのは欲望だと思った。捨てるのは未練だと思った。そして離すのは・切り離して考えるべきは価値だと思った。コレクションとしてならともかくただ使わないのであれば何の価値も存在しないのだろうって‥‥。
後悔、分解、旧懐、破壊、自戒、いろんな「かい」を感じながら、最後に「6階」建てに重ねて記念写真。
下から、PowerBook180-55mm、PowerBook520-55mm、PowerBook Duo 280c-45mm、PowerBook5300c-55mm、PowerBook2000 Pismo-40mm、一番上は現役の MacBook-25mm。ずいぶん薄く・コンパクトになったもんだ。
実はここに写ってないものやすでに手元から離れているものもあったりするが、たぶんPowerBook G4 までほとんど使ったような‥‥。どれだけ好きだったんだか‥‥。ただ、あくまでも捨てられるように片付けただけで、まだ家の中に残ってるんだよなぁ。さて今度はデスクトップ型。これは比較的簡単だけどでかくて重くて‥‥はぁ‥‥。
ヘンな話だが、こんな機会に思い切ることができたんだな。それを例にするつもりではないんだけど、世の中のいろんなシステムについても、ニッポン全体で考え直してみる必要があるんだと思う。
豊かになった時代にあっての厳しい生活、それを自分だけでは解決できない連鎖の社会。シンプルに・身軽に生きていくことの大切さを、日々教えられているような気がするのだ。とにかくできることから、がんばろう、がんばろう!
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