毎年かじりついて見ている‥‥ほどではないけれど、毎年気になって見てしまう。家族はどうも別のチャンネル・別の番組を見たいらしく、当然そこには冷たいチャンネル争いが繰り広げられることになるのだが、番組の区切りやCMなどごとにチャンネルを切り替えながら細かくチェックしているうちに、敵はめんどくさくなって全権を委ねることになるのである。ふっふっふ‥‥。
感動するように作られた番組だと承知はしているが、でも毎年各コーナーでめっちゃ涙を流してしまう。生放送故にテンポよく進まなかったり、遠隔の音声が聞こえないお粗末なやり取りに微妙に引いてしまうこともあるが、それもある意味新鮮だと考えれば別にどうってことない。
27時間テレビのような他社の対抗番組も登場したようだが、単なるバラエティで目的がイマイチはっきりせず全く興味なし。若者ウケはするんだろうが‥‥。逆にチャリティとかボランティアとか、それをわざわざテレビで大々的にやる必要はないだろうという声もないわけではないし、それもわからないわけでもないけれど、わざわざテレビで30年間もやってきたその意味や必要性もまた私は感じるのだ。
さて、毎年どうしても気になるのはやはり24時間マラソンだ。スタートしたばかりの頃は、まぁ何とかなるようになるのだろうと思っているのだが、2日目の午後あたりからやたら時間が気になってしまう。あと何kmの表示と自分の時計とでゴール時刻予想を立てるようになる。陸上競技人の性かもしれない。紙に表を書いてさらに正確な時速など算出してゴール予想したくなるのだ。さすがにそこまではしないけれど、今回は欽ちゃんギリギリだなぁと、そんなふうに思いながらついつい最後まで見てしまった。
欽ちゃんは放送終了の20時50分には帰ってこなかった。タイムリミットの21時にも帰ってこなかった。最後はペースがかなり落ち込んだようだ。結局次の番組を生放送で当てておいて、それでうまくゴールの様子などを放送した。いつの間にか25時間テレビになっている。そこまで想定してのことかもしれない。
ただ、ルールの中でできなかったことはダメという今の世の中、きちんと評価すべきことを評価する形になって良かったと思う。もちろんルールは大切なことなんだけど、24時間走り切って精根尽き果てるような状況に、ルールなんか持ち出す意味がない。感動すら覚えるのだ。頑張ってやり遂げる、そうありたいと思うし、そうしたさまざまな頑張りを見せられるから、だからおじさんは泣いてしまうのだ‥‥。
なんてことを思い出しながら、遠く伸びる電線や田んぼと高く広がる空や雲を見て、今週も頑張んねぇとなぁ‥‥なんて思うのだ。
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