昨日の田島はお葬式だったんです。お付き合いと言ってしまえばそれまでなんですが、でもこちらの地域とは微妙な違いを感じる告別式で、ちょっと勉強になったような気もしましたし、しめやかな中にも何かほのぼのとしたものも感じたんです。故人のことは実は全く存じ上げないのですが、でもその人柄がわかったような‥‥。失礼ですかね。
故人のご友人が弔辞の中でこんなことをおっしゃっていました。
「キミといっしょに立ち上げてやってきたクラブ活動がとても楽しかった‥‥」
十数年前にカメラの好きな人たちが集まって始めた愛好会だそうですが、もう七十代半ばになった今は活動も停滞気味なんだなぁと思ったんです。それでも振り返ればやっぱり思いは募るばかり‥‥、でも仕方のないことですよね。
こういう歳になった方の口から出た言葉だからこそ、「クラブ活動」って言葉にものすごい新鮮さを感じたんです。旧きよき時代の懐かしさも感じました。一生涯学習なんだなぁって改めて思いました。そしてやっぱりクラブ活動なんかができるような社会でなくちゃなぁって思いました。
モノが豊かになったけど、人と人とのつながりは反比例するかのように希薄化する一方です。組織であれグループであれ人が集まり意見が違ってくれば、心はささくれ立ち摩擦を生むものですが、ヤスリ掛けをしたり潤滑油を使ったりして、お互いの・組織内のギスギスはやがて収まり「社会」が形成されるものです。ギスギス解消のツールやノウハウを身につけることが「社会性」なんでしょうね。一人でいれば摩擦は生じませんが孤独化・孤立化がすすむばかりです。「社会」から疎遠になれば「社会性」も無くなって当然です。
現在の高齢者は少なからずそうした「クラブ活動」をしてきたことと思います。それに対して今の若者は‥‥なんて言いたくはないけれど、職場の飲み会、労働団体、地域の活動、そしてサークルのような活動も、いわゆる組織的・社会的な活動には抵抗感があるようですね。ゲームをしたり、マンガを読んだり、ジムに通ったり、それらを否定するものではありませんが、いずれも一人で誰に気兼ねすることなく自分のペースでやっている。
それも価値観の違いとは言うけれど、社会性は価値観で云々するものではないと思うんです。社会性を身につけるためにも、率先して社会的活動に参加してほしいものです。
あれ? ぜんぜん違う話になっちゃった。えーとそのクラブ活動。自分も今やすっかりカメラ好きになってしまいましたが、いっしょに楽しんでくれる人がいればなお楽しいものです。歩くことも好きだから、カメラウォークなどは絶好のアクティビティ。今年は春も開催しましたが、もうこうなったら季節ごとにやったるでぇなんて思ったりもします。
野球を通して知り合った仲間の飲み会だって立派な活動です。いや立派とは言えないかも知れませんがそれなりの活動です。地域の活動だって、研究会の活動だって‥‥。
いつまで続くかわかりませんが、10年、20年後も「クラブ活動」に足繁く通えるようなジジイでありたいもんですし、そういう仲間を持ちずっと大切にしていきたいもんです。
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