昨日は妻の実家側でささやかな懇親会があり、我が家も家族そろって参加しました。
おじさん・おばさん、いとこ、そして孫たちまで、三世代になりますからけっこうな範囲ではありますが、集まったのは総勢12名。日曜日の夜ですからなかなか厳しいものもあります。まぁもともとは父たち兄弟が温泉でのんびり一泊するためですからやむを得ませんが。
双葉地方の親戚もおりまして、叔父さんたちに当時の話を聴いたことはあったんですが、避難しているのに根掘り葉掘り聴くのは何となく申し訳なくて、それでだいたいのことだけ聴いて、あとは聴いたことにしてしまっていたんです‥‥。
実は昨日はあの震災から444日目にあたります。偶然だしだから何だということもないんですが、改めてホントに近くから避難し現在に至るまでの経緯・様子などを聴いて、1年3カ月近く経つと我々でさえ意識は低くなってたかもなぁと感じました。
津波を警戒して避難したはずだったのですが、できるだけ避難所の外に出ないとか、その夜からもう原発事故への対応になっていたみたいですね。翌朝にはそのままバスに乗り込んで二次三次と避難をしていったと。
あの翌日、自分たちはそうした避難者を受け入れることになったわけですが、状況などはほとんど知らされていなかった。これから爆発の可能性もなくはないくらいの感覚でしかなかったし、バタバタの中で断片的に入ってくる情報をきちんと整理できなかったんだなぁ‥‥。
関東圏の人たちのために電気を供給してきたのになぜ我々福島がバッシングされなければならないのだと思ったものです。でも今は同じ福島の中で双葉地方がバッシングされるような構図になりつつあるとも聞きます。確かにいろんな噂が聞こえてきたりはしているんですが、何とも哀しいことですね。
予算なども確保はされるものの、相変わらずその基準だったり手続きだったりが曖昧で自治体ごとに違っていたり‥‥。はっきりしないから要らぬ噂も立つわけですよね。
国がリードして新しい生活基盤を整備していかないと、福島再興は立ち後れるばかり。除染はそう簡単ではありません。水で洗い流すようなことにバラマキ的な配分をするくらいなら、その研究などに費やすべきとの意見もあります。もちろん具体的なところは県が然るべき案を示すなどして国に提言していかなければならないのでしょうが‥‥。
おじさん、おばさん、相変わらず元気だけど、どんどん時間だけが過ぎてしまうような気がします。大暑の頃には500日を迎えます。「ふくしまから はじめよう。」ロゴマークがあります。このへんでもう一度あのときを思い出して理解し合って意識を高め、今何が必要なのかを再考すべきだとも思います。
素人考えですが、安心して新しい生活を始められる場を、もうそろそろ決めて行かなくちゃならないんじゃないのかなぁ。
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