今日も懲りずに同じようなところを同じようなペースで歩きます。いつものカメラ、いつものレンズ、いつものバッグ、いつもの帽子、いつものシューズ、いつもの‥‥ちょっと刺激がほしくなってきました。カメラもレンズもいでたちも。でもまぁぜんぜん間に合ってんだよねぇ。
先日ちょっと紹介した「RunKeeper」を使っています。いつどこをどれくらいの時間で歩いたか、しっかり記録してくれるので重宝します。英語ですが、5分経過しましたよ、距離は何kmですよと知らせてくれるのも助かります。もう少しムキになるのかなと思っていたんですが、もうこれくらい歩いたんだから今日はこのへんで失礼します‥‥みたいな淡白さが意外だったりして。歳か‥‥。
この階段もつらいなぁと感じるようになりました。今日はご年輩の方々が除草作業をしてくださっていました。上の方から少しずつ少しずつという感じでしたが、214段もあるんですからそりゃぁたいへんな作業です。
申し訳ないと思いながら、作業する皆さんの間を通っていくわけですが、お疲れ様で〜すと自分なりにしっかりあいさつします。なんだひろまるくんカメラ持って歩いてんのがぁ。いっつもだよなひろまるくんは。そういえば昨日あっちの方を歩ってだなぁ。えぇ、はい、いや、カメラでも持たないと歩かないもんですから‥‥。お年寄りの皆さん、普段からしっかり見てるんですねぇ。
そこを通り過ぎると、こんなにきれいになっているんです。すこぶる気持ちがいい。いつものシューズだけど自分まで何から何まですっかり新鮮になったような気がして、ほんとにありがたいことだと思いました。
10人、15人くらいいらっしゃったでしょうか。214段もあってたいへんだと思ったけど、単純計算で 1人 15〜20段くらいですから、まぁしんどいってほどでもないのかな。いや、たいへんな作業だとは思ってるんですけど、これもたくさんの人が集まって作業をするからできることだと思うんです。一人じゃなかなかできない。ほんの少しのことでもみんなで集まって、ワイワイしゃべりながらやるからこそ、精神的な負担は減るし、ストレスも解消されるだろうし、そしてさすがお年寄りの皆さん!と思わせる。まさに老人力ですよね。
放射線量を下げるためにも、地域のこうした清掃作業はかなり有効な取り組みになると思っています。誰がやるか‥‥住民の誰にも責任はないけれど、誰かがやらない限りは何も進まないのが現実です。将来的にという意味合いから、40代以上、50代以上、そんな話になってしまいます。四十だろうが五十だろうが七十だろうが、余計な被曝なんかごめんですよ、そんなもの。
んでも、こういう方々がある意味腹をくくって頑張ってくれるんじゃないかと思っているんです。「立ち上がれナントカ」というあれはすっかり立ち枯れてしまったのかもしれませんが、この人たちはもうしっかり立ち上がってくれているんです。自分もそういう歳になってきましたから、いざとなれば‥‥と思うのです。ひろまるさんもまざんねがい‥‥いつ誘われることやら‥‥。
Fukushima 50 が一躍ヒーローになりましたが、今後は地域ごとに例えば Miharu 70's みたいなヒーローが現れるのかも知れません。っていうか、50代だから 60代だからではなくて、直接間接を問わず、ひとり一人が地域のヒーローでなくちゃならないんだよねぇ。
ツバメの子育てが盛んです。卵を温めているのか、すでに孵化しているのか、代わる代わる巣の中に入ったり飛んでいったり、そして軒先で注意深く見守ったり‥‥。
鳥や動物と同じように考えられるはずはないけれど、人間も子どもをしっかり育てていくことこそが、生きていくということなんでしょうね。そのための役割がそれぞれにある。
放射線・放射性物質という敵を自ら生み出してしまった人間は、何とも愚かな生きものです。それも生きるためだったんだろうけど、豊かさを勘違いしてしまったんだなぁ。心の豊かさを愉しめるじじいになりたいもんだと思う日々です。
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