今年は「1Q84」という小説が流行りましたね。我が家には上下巻山積みされていて、3冊目はもう買いませんでしたけど。
それは実はどうでもいい話でして、「1979」というのが今日の話題です。我々3名が採用された −− 他にも何名か同期の方がいらっしゃいますが −− 昭和54年というのが1979年なんです。それからあっという間に30年以上の歳月が経ってしまったわけです‥‥。
高度経済成長期を終えようとしていた1970年代が、1980年代・バブルの時代へと変わっていったんですね。自分ら初任給7万円前半だったんですが、ということはいくら頑張っても冬のボーナスは15万円ですよ。それなりの現金を、正にこの時季に手にしていたわけです。嬉しかったけど、フトコロはさほど暖かじゃなかったような気もします。ある意味「あぶく銭」だったんでしょうかね。そんなはずはないんですけどね。
ただ、同じように頑張ってたつもりなんだけど、ホントかどうかはともかく、銀行に勤めた同級生なんかは一桁違ってたみたいな話だったんですね。要するに不動産に何らかの形で絡んでないとダメだった。当時建設会社に勤めていた人などは、毎晩タクシーでマチへ飲みに行ってたそうですよ。とある村の方から‥‥。
だからバブル景気って自分は今でも信じられないんです。一方でお金がどんどん回っていく、その中に自分たちは入れない‥‥、その象徴的な流行語が「〇金〇ビ」ですね。振り返ってみると、何かずっと〇ビ人生を歩んできた・歩み続けていくような気がしてなりません。自分はですよ。
そういう細かい思い出話をしていたらキリがないので、さっさと飲むことにしたいんですが、少しだけ珍しくまじめな話を聴いてください。
その頃はビールなんかそんなに飲みませんでした。飲み会というと日本酒。今のようにボジョレーヌーボーを楽しむなんて時代ではなかったから、ワインなんか考えもしなかったですね。何かセレブの世界みたいな感覚さえありました。セレブなんて言葉もなかったんじゃないかな。
でも、ずっと古くからワインやウヰスキーもありますよね。5年、10年、20年と寝かせて、芳醇な味わいがようやく出てきた、それを飲むというのは贅沢極まりないと思う一方、ほんとうの味わいが出てくるまで20年30年を堪え忍ぶ、我慢しなければならないわけです。我慢と言うよりは、結局その目的のために努力する、それがワインづくりなんでしょうかね。
自分は1979年に仕込みが始まったワインなのかもしれないと思ったんです。約30年経った今、深い味わいのある仕事ができているのかと考えると、ただじっと樽の中で寝過ごしてしまったのかなぁ‥‥と悔やむところがあります。これは取り返しがききません。
そう思うから、世の中がどうだからとか、今はみんなこうしているからとか、そういう理由だけで研究会の取り組み方を安易に考えちゃいけないと思うんです。いつも同じことばかりで申し訳ないんですが、小さな取り組みを、休まず続けていく、1個1個しっかり積み上げていく、それしかないんです。他人がどうだろうが、時代がどう変わろうが、それは必ず自分の礎になることですから‥‥。
おいしいワインを飲むためには、20年30年我慢しなくちゃならないと言いましたが、これを毎年飲む方法があります。毎年仕込めばいいんですよね。それをある年だけ100個もの樽を仕込んでしまうと、倉庫はもういっぱいいっぱいで、その100個がある程度なくなるまで仕込めなくなってしまいます。新しいワインは望めない。20年くらい過ぎないと次のワインはできない。後が続かなくなる‥‥。何を言ってるのかは察してください。
それはともかく、その一つ二つの若い樽を、20年30年かけて育んでいく責任が我々にもあるように思っています。我々自身も同じ樽なので何もできないんですが、並んでいる隣の樽同士でゆっくりゆっくり揺らし合いながら、その揺れをまた隣に伝え合いながら、相乗的な熟成を図っていきたいなぁと思う次第です。情けは人の為ならず、研究会って結局そういうもんなんじゃないですかね。
長くなって申し訳ありません。一度死にかけたこともありました。が、こうして生きてこの日を迎えられるのも皆さんのおかげだと思っています。それでもまだまだお世話になっていくしかありません。今後ともどうぞよろしくお願いします。
1979年に仕込まれた我々3人はいったいどれくらい熟成されたのか、今日はいろんな思い出話なども引き合いに出しながら評価いただければと思っています。年末の忙しいところこんなに盛大な会を開いていただき、ほんとうにありがとうございました。
なんてあいさつだったんです。
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