発売初日に契約したiPhoneも1年が経過しました。機会があればこの1年を振り返ってのあれこれを書いてみたいと思っています。ケータイって何なんだろなぁ‥‥とか。
さて、iPhoneのカメラについては何度となく書いたりしていますが、カメラって解像度だけじゃないなぁと思います。写真の楽しみ方がわかったと言うか、アーティストにでもなったような気分になれると言うか、そうした感覚をアプリが補完してくれるんですね。それが偶然の産物として出てくるから、どんどんはまってしまうんだなぁ‥‥。
例えば酒屋さんなどの近くに山積みされているビールケース。それが日常だったりするからほとんど気にもしないものですが、改めて撮ってみたとき、かなり強いコントラストと青いフィルタとがかかって、しかもトイカメラ風に四隅が減光して、見た目とは明らかに違うんだけど雰囲気を強烈に表現してくれたりすると、もう自分としてはアートになってしまうわけです。すげぇ‥‥とか言いながら小躍りするわけです。
いつもお話を聞いてはいますが、アプリが産み出す凄い産物ですね。こうなるともうアートですね。
あれれぇ~思う事を書き綴ったらhiromaruさんと同じ言葉を書いていました。
投稿情報: | 2009/07/22 11:48
ピントが合ってるからいいってわけじゃないことも何となくわかってきたような気もします。iPhoneに限らず、自分で「あぁいい写真だなぁ」って思うのは、結局のところ「リアリティ」よりも「イメージ」かなという気もするんです。
もちろんリアルなその事実こそが大切なんですが、心の中にあるものを伝えようとするとき、許容される多少の演出によって思いがより的確になるのであれば、それは必要なことなんじゃないかなと。撮った本人が被写体から受ける印象も同様で、ときに現実以上の現実感を覚える場合があるわけです。
こうした写真加工はフォトショなどでちょちょっとできることですが、2時間も3時間歩いてひと休みして何時間も経ってから部屋の中でやるのと、正にその場でその時にやるのとではぜんぜん違うわけです。
コンピュータを持ち運べるかどうか、そのコンピュータがいかに手軽か、アプリがいかに簡単か、ということでもあり、ひとつの答えとしてiPhoneがあるような気がするわけです。
ちょっと生意気ぶってしまいました‥‥。(^^ゞ
投稿情報: hiromaru | 2009/07/22 22:00
前回のコメント名前を入れ忘れました(^_^;)
4行目の「もちろんリアルな・・」から始まる言葉に共感します。写真はピントだけでは無く何を伝えたいか表現したいかと思います。それを上手に表現出来ないもどかしさを感じていますが、事実は当然最優先なのですがそこまでの撮影技量が満たない私の場合などは、表現の仕方で表す事もありかと思います。
また、Photoshopを使うと自分の感性の範囲でしか表現出来ませんが、iPhoneアプリにおまかせで思わぬ表現になり驚く事も楽しいと思います。
その様な事も~↓~↑~あると思います(吟じました。。はぁはぁ疲れました)
投稿情報: papa | 2009/07/23 13:41
話が飛んですみません。
でもまぁそれはともかく、やっぱり一眼レフカメラは難しい‥‥と、読者のSさんがおっしゃってました。自分も最初そう思いました。
確かに今はコンパクトデジカメがきれいに「撮ってくれる」時代です。が、だからってコンデジに戻って、お望みの写真になるかというとそうではないんですよね。
むしろ一眼レフの方が「撮ってくれる」ような気がしてきました。このあたりはiPhoneのそれとはまた違いますけどね。意外性という意味では、思ったよりも彩度やコントラストが自然な強さだったり、思ったよりもボケが効いていたり。
それから、電動ズームじゃないからグイッグイッ!って機敏に調整できたり、何のかんの言ってもシャッターボタンがパシャパシャと言うこと聞くし、レスポンスが良いんですよ。
そういうレスポンスを活かしてかまわず撮って撮って撮り続けると、あぁなるほどねと、意外にいい写真ってこういう感じで撮るのねと、いうコツがわかってくるみたいなね。
それまではカメラ任せのプログラムモードで充分。絞り優先/シャッタースピード優先、自分は今でもよくわかってませんから‥‥。笑
要するにカメラは、好きなように撮りたいようにどんどん撮ることなんだなと、そんなふうに思うわけです。無理して何とかしようなんて考えない。
投稿情報: hiromaru | 2009/07/30 22:47