3日、久しぶりに野球観戦した。国体予選とかで三春クラブも出場した。1部・2部オープンなので高望みはしていないとも言うが、でもやっぱり期待はする。2試合とも勝ったので、13日以降の試合に進むこととなった。
他のチームのスタンドにはほとんど応援がいないから淋しい。こちらはたぶん中学、いやスポ少の頃からの追っかけが当たり前のように陣取っていて、それでベンチもスタンドも盛り上がっていい。社会人とは言えやっぱり親としてはその様子が気になるわけで、いくつになっても子どもは子ども、応援団なんだろうなぁと思う。
途中時間があったので、少しだけ高校野球も見てきた。ホントは田村の試合を見たかったんだけれどいろいろあって仲間の息子さんのH高校の試合へ。H高校は勝ち翌日も勝って、どうにか県大会出場を決めた。田村も勝って県大会出場を決め、明日の決勝戦へ臨むこととなっている。
高校野球は特待問題で大騒ぎだけれど、選手たちはいっしょうけんめいだ。何を今さらと思う。ルールはルールだが、本質は何かというところをないがしろにはしてほしくない。子も親も必死なのだ。決まりというのは完全なものではない。時が経てば枝葉も伸びてくる。そこを適宜補っていくことで、本旨が貫かれるものではないだろうか。そうした対応無しに白黒つけようったってそりゃぁ無理というもの。それは大人の社会にもいっぱいある。言いたいことはいろいろあるが、自分的にも収拾付かなくなりそうなのでやめておこうと思うが、そうした決まりも本来は子ども(選手)の応援団的なものであるべきなのではないだろうか。
昨日のウォーキング、中学校の前を通ったら珍しく野球部が練習をしていた(狭いグラウンドでやっていることが珍しいのであって普段は町営グラウンドへ移動してやってます)。若い顧問の先生にも家庭があって、GWだものいろんな予定もあるだろうにご苦労なことだ‥‥なんて思う。
牽制の練習だった。つい笑ってしまう場面もあったが、野球のおもしろさを知り、野球の厳しさを知り、友だちをつくり、そして野球を楽しんでほしいと思う。野球嫌いだったオレだが今はそう思う。顧問だってそういう思いじゃないとやってられないだろう。逆に言えば、子どもたちの野球(をはじめとしたいろいろな部活動)に対する思いを、ぜひしっかりと受け止めて伸ばしてあげてほしいと思う。親にも考えはあるだろうけれど、特に中学の部活なんかは親と顧問とが一体になっていかないとなぁ‥‥。
こどもの日の内飾りは、桃太郎を端午の節句にアレンジしたミニ張子セットにした。桃太郎が鬼を成敗できたのは、じいちゃんばあちゃんの支えとイヌ・サル・キジのサポーターのおかげであることは言うまでもない。
子どもが犠牲になる悲しい事件が多発している。かっこいいことを言うつもりはないんだけれど、どんな小さなことでもいいから支えていかなくちゃ。みんな「こども応援団」なんだと思うのだ‥‥。
さて、そうやって野球ばかり見ていれば当然息子の様子も気になってメールをする。ちょうど大会が始まったところらしく2戦2勝とのこと。単語ひとつしか返ってこないからいろんなことがますます気になってくる。あれこれ質問を並べるんだけれど、肝心なところは結局「まぁね」これだけだ。親の心子知らず‥‥か。
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