1984年1月22日、NFLスーパーボールの会場に有名な「1984」のCMが流れ、その2日後・1984年の今日1月24日、最初のMacintosh・Macintosh 128kが発表された。
自分はまだワープロさえ使っていなかったし、コンピュータってどんな実用性があるのかわからなかったし、だいたいコンピュータなんて考えたこともなかった。そんな時代のことだ。が、その直後にワープロを買い、ついにはワープロでパソコン通信までするようになった。表計算もこなすからコンピュータに移行する理由がなかった。ただ、システム手帳なんかが流行していた時期で専門誌も発行されていたんだけど、そこには必ず小さな一体型コンピュータの写真が載っていて、グラフィカルなその画面の様子から、ほほぉこのコンピュータだとおもしろそうなリフィルができそうだなと、ちょっと気になり始めてはいたのだった。それがMacintoshというコンピュータであることは知っていたが、ようやくその中身への興味も湧き始めたのである。
1990年秋に、もうそろそろパソコンでしょうと、NECの“マネキントッシュ”をボクは発注した。コマンド入力を覚えなければならない、頑張るしかない、そう思いながらMacintoshに未練を残しつつ、98を使ってるみんなの“マネ”をして、Macintoshを真似た感じの98にしたのだ。しかしその直後に「Macintosh Classic」が発表され、あわてて“マネキントッシュ”をキャンセルした。多少ランクは下がるが約30万円(その前に登場していたSE/30が約70万円)という衝撃的な値段であったし、とにかくこっちだろうと、ボク(と一人の後輩)はホンモノのMacintoshの道を選んだ。
待たされること数ヶ月、1991年の今頃ボクはClassicに熱中し始めた。MS-DOS主流の当時、コマンド入力・実行なんてことが意味不明で、それがイヤでコンピュータというものを使ったことのない自分にとって、マウスオペレーティングの実に簡単なUIはあまりにも強烈だった。だから、自分で言うのも何だけど、水をどんどん吸収するスポンジのごとくいろんなことをすぐに覚えた。パソコン通信でたくさんの方々が親身になって教えてくださったことが一番だったとも思う。MPU速度、メモリ容量、HDD容量、どれも我慢しきれなくなり、それで半年後にはSE/30を手に入れ、そこから本格的なマックバカが始まったのだ‥‥。
その後のことを書いたらもうキリがないし、バカを露呈するだけなのでこのへんで終わることにするが、今は眠っているMacintoshも部屋にずいぶんある。その中でどうにかして復活させたいのが「Macintosh Portable」なのだ。SE/30のような大ヒットしたマシンと違い、当時120万円くらいした(らしい)Portableは、数が少ないから部品の調達もままならず、如何ともし難い状況なのだ。っていうか20年くらい前のマシンだもの‥‥。
特に内蔵バッテリは豆腐一丁ほどの大きさでそれだけで1.2kgもある特殊なもの。正直なところお手上げだ。でもこれが復活しないことには起動もあり得ないのだ。バッテリを分解して云々という改造記事もないことはないが、ド素人の自分にはあまりにも高すぎるハードルという気がする。
コンピュータは動いてなんぼだ。だからSE/30も可能な限り現役でいられるような状態を今後も保ちたいと思っている。同様にPortableもそうしたいところなのだが自分にはかなり無理っぽい。そのデザイン性からオブジェとしての価値もないことはないが、飾っておけるようなおしゃれな家でもない。この際だから、もしほしい方がいたらお譲りしようかとも考えたりするのだが、それはそれでやっぱり淋しいもんなんだよなぁ‥‥。
僕の最初のMy MacもClassicでした。もっとも会社で買ってもらったんですが。
hiromaruさんと同じく、コマンド打たずにエクセルで計算できたり、マックドローで絵が描けたり、マンホールで遊べたり・・・
仕事が終わっても、しばらく会社に残っていじり倒していた記憶があります。
その後こいつはClassic IIにアップグレードしてしばらく使い倒し、その後はLC475、PM6200、PB5400Cとなったところで、会社はWindowsを選びました。
自宅ではLC575(幼稚園に譲渡)、iBook(売却)、PBG4(保有)、Mac mini(保有)。
漢字Talk6.0.2.1からの付き合いです。昔はシステムフォルダいじってカスタマイズする楽しみが、不安定さと裏腹にあったんですが、OSXはワカンナイや。何もいじらず、巣のままで使っております。
単なる道具以上の”何か”を持っていたように思えますが、OSXと引き換えに失っていってしまったようにも。コンピュータが、僕の中では崇拝対象から単なる道具になってきた、ということかも知れませんが。
投稿情報: 先生くん | 2007/01/25 20:36
表計算やワープロの使いやすさはもちろんなんですが、ペイント系ソフトがホントに楽しかったし、マックドローの実に正確なアウトプットにはホントに驚いたもんですよ。
私もSE/30と並行してLC475も使いました。これのクロックアップで改造にはまりました(笑)。ひょんなことからDaystarのアクセラレータをいただいて、それで中古のIIciを買いポートレートモニタを買い‥‥なんてこともありました。
PowerBookは145Bが始まりですが、あまりにもきれいなTFT液晶画面に魅せられ、180を海外から買ったこともあったなぁ。その後5300ceや2400cなどを経てPismoへ。これはG4化のために海外へ行ってきました(Pismoだけ)。今は息子のところへ。自分はPBG4/800DVI。
デスクトップはLC475のあと中古をいろいろいじって、PM8500をG3化してずっと使っていました。現在はPMG4 MDD/1GHzDualです。
システムフォルダをいじるのはホント楽しかったですね。加えてResEditでいじりにいじったFinderとSystemが、そりゃぁ自慢でした。オフラインで集まって何時間でもしゃべってられる、いろいろ教えていただく、それも楽しかった。
でもってOSXは私もわかりません。インストールやアップデートなども画面の指示どおりすすめるだけで、やっぱり素の状態です。「崇拝対象から単なる道具になってきた」。私もまさしくそのとおりです‥‥。
投稿情報: hiromaru | 2007/01/25 21:27
忘れてならないのがHyperCardですね。毎月お題を決めてスタックコンテストなんかもやったっけ。これでHyperTalkのスキルは格段に上がったはずだな。BASICなんか私にゃ何のことやらわかりませんでしたが、単なるプログラミングにとどまらない“マルチメディア”な感覚が実におもしろかった。HyperTalkを覚えたおかげで、HTMLもFileMakerのスクリプトも理解しやすかったなぁ。
どれこもれも、Kさんをはじめwanikoさんやたくさんの仲間、そしてワイワイやってたユーザグループ・BitMapのおかげです。
投稿情報: hiromaru | 2007/01/25 21:38
いや〜なつかしい〜
って昔話をしてしまうと
歳をとった証拠だというのはわかっていても
どうしても言わずにはおれませんです
hiromaruさんの(いまだにそうですが)センスのよいスタック作成
kさんのクールな改造
Reseditはフォントによかったですよね〜
私はその後linuxへ移行していったのですが
UNIX経由でOSXへ帰ってまいりました
ターミナルでいろいろいじれるのがたまりませんです
投稿情報: waniko | 2007/01/26 21:13
OSで言うと7まではほんとにいじりがいがありましたよね。それがやがてコンパネでも機能拡張でも、いろんな望みが8や9で叶えられて、結局なんかそういういじって遊ぶ感みたいなものがなくなっちゃった‥‥ってとこなのかなぁ。
それはそれとして、Macintoshのおもしろさというものにとにかくはまったんだなぁ。wanikoさんは引き出しがたくさんあって、いろんな話を聞くのも楽しかったです。それをさらに専門的に拡張させるKさんの話や技術もまた‥‥。私の場合、小さな引き出しひとつがもういっぱいいっぱいでして‥‥。
その後PM8100とか7500などでFreeBSDなんかをいごかすべと、そういう流れがあったんですが、結局挫折しますた。
投稿情報: hiromaru | 2007/01/27 16:19