恵方巻なんかこのあたりにゃ無かった風習だからさ‥‥なんて言いながら、節分の翌日、立春の本日もいただいちまってる我が家。つーかオレ。いろいろお付き合いも御座いまして数種類買ってきた息子、昨日も今日も「晩飯不要」との連絡で、結局とうちゃんの胃袋にガッツリ入っていくのでありました。
昨日の給食は節分メニュー。イワシの丸干し&豆の入った煮物・五目豆。動物性の脂は固まりやすく魚類の脂はさらさら。血液も同じようになってしまうから注意しないとね‥‥。
いつもはほとんど残菜の出ない給食なんですが、さすがにイワシ一匹まるっと出ると引くようで‥‥。自分ら内臓の苦味がたまんねぇとか思ったり骨までワシワシ食ったり、やっぱサカナ最高!なんて思うんですがね、こればっかりは仕方のないことですよ。
まぁそれはおいといて‥‥。
季節はようやく一回りして、いよいよ春を迎えました。相変わらずキンキンの冷凍庫に入ってるみたいな毎日ですが、思ってるほど気温は低くないようで、真っ暗なところ歩いて帰る道すがら、視覚より聴覚なわけですけれど、あちこちからポタポタと雪や氷の溶ける音が聞こえます。それだけで何だか春に近づいているような気がしてちょっとうれしい。
季節はぐるぐる回っているので、始まりも終わりもないんでしょうが、でも季節の始まりはやっぱり春のような気がします。そんなイメージが強い。
じゃぁ人間はどうかというと、この世に生を受けた瞬間に命のサイクルがスタートするような気がします。まぁそりゃそうだわな。誕生日が人の暦の始まりで、それとは別の季節の暦とともに、螺旋状に繰り返されているんじゃないかと。おおすごい喩え。
これまであまり気にもしませんでしたが、となると自分は12月24日スタート‥‥でもほどなく正月も来るし、そのあたりってことなのか。でもちょっと違うような‥‥。おいおいなんじゃそれ、話がぜんぜん違うじゃん。
いや、一度心臓が止まって生き返って、それ以降のことを思い出すと、なるほどオレの1年の始まりはこの時期かもしれないと思うのです。そういえばあれ以来、この日を迎えると何かがリセットされて何か新しいことが始まるような、自分自身がいよいよ始めようとするような、とにかく「はじまり」を感じるのです。単純に「立春」のせいだけではない何かがね。
もちろん「節分」はその節目に違いありません。なぜなら「節分」は季節のはじまりの前の日だから、それで自分は気持ちの変化があるような気がするのかもしれない。あれからもう15年も経ちました。
昨年の同時期のブログ、どうしてかわからないけれど、節分の日って元旦とか新年度になるくらいの、ここがオレのスイッチな日なのかもしれない、なんてことを書いていました。
それってつまりこういうことだったんじゃないのかなぁと思ったりします。だから何だということではないのですが、みんながみんな正月に何かを始めようとしたって、そううまくはいかないんじゃないのかなと。
自分のスイッチな日がどこかにあるから、そこを見つけるのって大切かもな‥‥とかね、あれこれグダグダ考えながら、今年も恵方巻食べた次第です。外れない出羽桜の四合瓶。オレのはじまりには欠かせないような気もする。
そばのことを手帳に書き忘れたことに気付きました。従って今年も気持ちだけで実現しませんでした。来年のために、今回はしっかり書きました。
それぞれのはじまりがある。はじまり方がある。バタバタてんやわんやぐったりな中で始まる自分のサイクル。まずは無我夢中で整理することからだってことなのか‥‥。
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